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八王子の埋蔵金

 投稿者:N  投稿日:2015年 1月13日(火)00時33分5秒
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  http://xyn.jp/~s_tanaka/GJH_20_hatioujinomaizoukin.pdf

・ 「元八王子町 八幡神社境内」
・ 建久2年(1192)、梶原景時が源頼朝の命により鎌倉鶴ケ岡八幡宮をこの地に勧請した時に植えたと伝えられる、高さ30m余、目通り幹囲15mの「梶原杉」と呼ばれる都内随一の大杉があった。地上10mのところから枝が下向きに垂れているところから「逆さ杉」とも言われていた。景時がさした枝から芽をふいたという伝説もある。長い間、神木として崇敬されていたが,昭和47年(1972)枯死。
現在、根株の部分が保存されている。八王子市郷土資料館玄関に輪切の一部がある。また,昭和30年(1955)頃、この附近で「埋蔵金発掘」が行われたことがあったが、埋蔵金は出なかった。


・ 「墓の下の埋蔵金」
・ 谷中の瑞輪寺の墓地に、海保孫右衛門という者の墓があった。
・ 自分は海保孫右衛門の子孫と称する、子安村(東京都八王子市)の孫右衛門という男が、『先祖から伝わる文書に、墓の下に一万両が埋められていると書いてあった。墓を掘り返す許可をいただきたい』と、寺社奉行に願い書を提出した。享和4年(1802)のことである。
・ 寺社奉行はその願いを却下した。文化元年(1804)、孫右衛門はふたたび願い書を提出したが、またもや寺社奉行は却下した。文政10年(1827)、孫右衛門はみたび、願い書を提出し、とうとう寺社奉行も墓を掘り返すことを許可した。
・ 勇み立った孫右衛門はさっそく人足を集めた。同年の8月23日から、寺社奉行と町奉行所の役人の検使のもと、墓の掘り返しが始まった。幅二間(約3.6m)、深さ三丈(約9m)ほど地面を掘り下げたが、出てきたのは錆びた脇差一腰と鏡一面だけで、金はなかった。9月1日、穴を埋め戻し、墓を元のようにした。人足の手間賃など、経費は合わせて60両もかかったという。
・ その後、いろんな憶測や噂が飛び交った。「本当は3,000両、出てきた。しかし、なまじ金が出たと言えば、『天下の通用金を墓に埋めるなど、不届きである』として、子孫の孫右衛門も遠島になりかねない。そこで、孫右衛門は検使のお役人には、金はなかったと申し立てたのだ」などという、穿った見方もあった。
・ この話は、藤岡屋由蔵編『藤岡屋日記』に拠った。この事件は、『道聴塗説』にもくわしく経緯が記されている。
 
 
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