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さつまの国の言い伝え2

 投稿者:N  投稿日:2014年10月18日(土)17時26分19秒
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  http://kagosimalegend.seesaa.net/article/292702338.html
錠鍵野の宝物 瀬々串に伝わる埋蔵金伝説

慶長5年(1600)に、天下分け目の戦である関ヶ原の戦いがありました。
この戦いは、東軍側の徳川家康が勝利し、徳川政権を樹立することになりました。

戦いに敗れた豊臣の家臣たちは、徳川の目を逃れ、とうとう瀬々串浦の古城にたどり着きました。
そのとき豊臣の家臣たちは、いつの日か政権を取り戻すために軍資金として多くの財宝を持ってきていました。

その後、瀬々串浦を去ることになり、別の地に移ることになりました。
財宝をある場所に埋めることにし、そこを「錠鍵野」と名付けました。

錠鍵野は、「瀬々串浦から望んで夕日が西の山に沈むとき、最後まで夕日が照っている所」を選んだと言われています。
埋めた場所にある大小の岩の下に、その財宝は眠っているそうです。

※ 鹿児島には、関ヶ原の戦いで敗れた豊臣方の殿様や家臣たちが落ち延びてきたとする言い伝えがあちこち  に散らばっています。
  谷山の「豊臣秀頼の墓」にまつわる伝説。
  南九州市頴娃町雪丸の地名にまつわる伝説では、ここに真田雪村もしくは家来たちが落ち延びてきたこと  になっています。

  判官ひいきの心が強い鹿児島の人々が、豊臣方を憐れんだものか、豊臣に関係する人たちが落ち延びてき  たのか、はっきりしたことは分かっていません。
  鹿児島は、平家の落人伝説もそこかしかこに残っていますので、奥底には同じ心持が働いているのかもし  れません。

http://kagosimalegend.seesaa.net/category/14355341-1.html
小永田の隠し黄金 さつま町

むかし、むかし。
いまのさつま町求名(ぐみょう)に、千万長者とよばれる年老いた長者がありました。

ある時、長者は子や孫が先々困った時のためにと、黄金千両と朱千斤を「茶の木が点在する山中」に埋めました。
目印に、韮を植えておきました。
長者は黄金千両と朱千斤を埋めたこと、困ったときに掘り出すよう遺言すると、間もなく死んでしまいました。
残された家族たちは、長者の遺言を他人に漏らさぬよう、秘密にして代々伝えてきました。

時は経ち、「分限者に三代なし」の諺どおり、孫たちはその日の暮らしにも困るようになっていました。
孫たちは、代々伝わる秘密の遺言のことを思い出し、目印の韮を探しに出かけていきました。
孫たちは血眼になって探し回りましたが、見つけることはできず、家はなくなってしまいました。

長者の遺言をどこで聞きつけてきたのか、ひとりの村人がこっそり山の中に入りました。
その村人は、韮を見つけると狂喜して家に帰りました。
鍬を持つと、跳ぶようにして先の山に走り出しました。

村人が同じところに行ってみると、目印の韮が見当たりません。
とうとう、その場所を見つけることはできなかったそうです。

その後、何人もの人が黄金を掘り出そうと山に入りましたが、見つけることはできなかったそうです。
 
 
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