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結城家黄金埋蔵金の伝説

 投稿者:N  投稿日:2014年 6月26日(木)20時57分52秒
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  http://homepage3.nifty.com/miyatastone/sub1/sub2/maizoukin1.htm
史跡めぐり
第2回 結城家黄金埋蔵金の伝説 (前編)
結城家始祖、結城七郎朝光は、藤原秀郷から8代の後胤小山政光の三男である。朝光は、平家追討や奥羽征伐で活躍し源家に忠勤を励んだので、恩賞として頼朝から、平泉で栄華を極めた藤原氏から奪った財宝のほとんどをもらったという。以来代々、関東の肥沃な穀倉地帯に根を張り栄えてきたので俗に、「結城百万石」とその内福をうたわれていた。
朝光から数えて18代、結城晴朝の時に秀吉の小田原城攻めが起り(1586年)、晴朝も直ちに軍を起こし、小田原に馳せ参じた。秀吉との対面の折り、たまたま晴朝に世子がいないことを知った秀吉は、自分の養子秀康を晴朝に与えると言いだした。ところが古武士気質の晴朝は、権謀術策に富む家康とは性格があわず大嫌いであった。しかし、ときの権力者秀吉の配慮を断ることも出来ず、心ならずも承知したのであったという。
やがて、天下の実権が家康に移ると、徳川家の基礎固めの為に家康は、強力な外様大名や、少しでも怪しい素振りのある者は片端から難癖をつけて取り潰したり、国替えをしてその力を弱めることに熱中していた。天下にその繁栄と内福を噂されている結城家の晴朝は、「つぎはわしの番だ」と予感して「この宝、むざむざ徳川家に渡してなるものか」と、朝光以来の財宝を、腹心の家来、膳所主水(ぜぜもんど)に命じて地中深く埋めてしまったという。
さて、はなしのつづきは後編で。


http://homepage3.nifty.com/miyatastone/sub1/sub2/maizoukin2.htm
史跡めぐり
第3回 結城家黄金埋蔵金の伝説 (後編)

さて、この結城家の財宝を掘ろうと企てた人達は少なくなかった。主なものだけでも次の通りである。

・ 徳川家康が城址の古井戸という古井戸を掘り、失敗に終る。「結城家埋蔵金をみだりに発掘すべからず云々」の布告を出す。
・ 八代将軍吉宗が大岡越前守に命じて、結城から8キロ外れた、下野国吉田村的場を掘る。土砂が崩れて11人の死者が出たという。
・ 幕末の老中阿部正弘が、結城城址の西南小塙を掘る。
・ 大正6年結城藩主の子、貴族院議員 水野直(ただし)子爵が、当時日本橋蠣殻町の米相場師で大もうけした、熊倉良助氏を資金源に約1年、結城城の周辺を掘りまくった。前祝として当時結城町5000軒に、紅白の餅を一重ねずつ配ったという。見物人相手の屋台店まで出る賑わいであった。しかし、武具の破片が少々出たきりでめぼしい発見はなかったという。
 
 
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