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世界は一家 人類みな兄弟

 投稿者:N  投稿日:2014年 6月24日(火)20時40分33秒
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  【笹川良一】海底93mに眠るナヒモフの宝庫の扉を開く
https://www.youtube.com/watch?v=fEQ7Enn3qO4
昭和56年4月
82才の笹川良一青年、海底93mに眠るナヒモフの宝庫の扉を開く。対馬沖にて。


世界は一家 人類みな兄弟 笹川良一“昭和の怪物”笹川良一とは一体どんな人物であったのか。

http://blog.goo.ne.jp/sasakawaryouichi/e/aa3338c9e178a3e95d5f1dbae2dae3d4
ナヒモフ号の引き揚げに私財投入

笹川良一が心血を注いでつくりあげた競艇事業から生み出される資金は、今や世界規模の団体である日本財団を通じて、社会のために使われている。

その資金は全国の競艇ファンからいただいたものである。笹川は毎年末、日本財団、全国モーターボート競走会連合会の御用納めを終えると、東京近郊の競艇場を回る。

これはファンに対して一年間のお礼を言うためで、年が明けて正月には、新年の挨拶のためにまた競艇場に行くのであった。さぞかし秘書は大変であったことであろう。

ファンあっての競艇事業、競艇事業があって初めて日本財団が活動できる。そのことを一番よく知っていたから競艇現場に足を運んだのであった。そのため、公私の区別はきちんとしており、競艇のお金は一切手をつけなかった。

そんな笹川であったが、自らのお金は当然のことながら自由にそしてダイナミックに使った。その一例がナヒモフ号の財宝の引き揚げであった。

1980年秋、長崎県対馬沖に時価一兆円の財宝を積んで沈没したとされる帝政ロシア時代の巡洋艦「ナヒモフ号」の引き揚げに笹川は巨額の私財を投じた。

ナヒモフ号はロシア・バルチック艦隊の装甲巡洋艦で1853年からのクリミア戦争で活躍したナヒモフ提督から名を取った。日本海海戦では第2艦隊に属し、海戦初日の夜に沈没したのであった。

何故笹川が私財を投じてまでナヒモフ号にこだわったかというと、世界の視線を北方領土問題に集中させるためであった。

北方領土は、日本古来の領土であったが、1945年8月から9月にかけてソ連軍は北方領土に上陸し占領した。

現在に至るまで戦後約60年以上にわたりソ連およびそれを継承したロシアが実効支配を継続している。

笹川は、北方領土問題解決にはナヒモフ号が絶好のチャンスだと思った。本当に財宝が引き揚げられれば、ソ連は必ず自らの所有物だと主張し、返還要求してくるに違いない、と考えていた。

その場合にはナヒモフ号は日露戦争の戦利品とみなされており、かつて久原房の助(戦前の政治家であり財界人として有名)らが引き揚げ作業に手をつけたことがあったが、ソ連は何も言ってこなかったわけだから引き揚げた者が所有者である、という理屈である。

そしてナヒモフの財宝が引き揚げられた場合、ソ連にプレゼントし、食糧問題で国民が苦しんでいるので、その財宝を国民のために使ってもらおうと考えていたのであった。

その代わり、日本から取り上げたままになっている北方領土を返還させることが交換条件であった。

笹川にとってナヒモフの財宝には全く興味がなかった。しかし巨額の私財を投入した。それは北方領土返還に向けてソ連を話し合いの土俵に乗せるための材料、切り札に使えると信じていたのである。

笹川が多額の私財を投入したナヒモフ号から引き揚げられたものは財宝ではなかった。


http://blog.goo.ne.jp/sasakawaryouichi/e/3eccb6ae3d4274d2b1972805192c8e49?fm=entry_awc_sleep
笹川の金の使い方

昨日のブログに書いたように、ソ連に対して北方領土返還交渉の材料にするため、巨額の私財を投げ打ってナヒモフ号の財宝を引き揚げた結果、失敗に終わった笹川良一のロマンとナショナリズム、そして蓄財への無関心は我々の想像をはるかに超えているものである。

競艇事業のお金とは全く異なり、私財については無頓着であった。日本財団や競艇事業関係の公金の使用については、きわめて厳格であり徹底した節約を行った。

にもかかわらず、自分のお金の使い方については、非常におおらかであった。

競艇事業の草創期には赤字により経営難に陥った競艇場には惜しみなく私財により補填をした。また、かつてハンセン病患者救済のために世界のハンセン病関係団体から協力を得て、約3ヵ月間新宿でサーカスを開催したものの観客の入りが悪く、10億円もの損失が出た。

これに対して笹川は「10億円は私個人で穴埋めをする。損はしたが命がけの芸術を見た子どもたちは勇気百倍、いかなることでもやろうと思えばやれないことはない、と思い多少のことではへこたれない精神が身に付くだろう。まことに結構、有難い損である」と言い切ったのであった。

ナヒモフ号の引き揚げの件は、結果的にはだまされたカタチになった。しかし巨額の資産を失ってしまっても本人は「自分だけがだまされて、誰にも迷惑をかけないのだからいいじゃないか」と秘書に語っている。

笹川が死去したあとに残された遺産は、資産家といわれる割には少なかった。それだけでなく、この引き揚げの際につくられた巨額な債務が未完済で残されており、唯一遺産を引継いだ笹川陽平がその精算に追われることになってしまったのである。(詳細はこちらのブログを参照)

他人には迷惑をかけなかったが子孫には「美田」を残さなかったどころか債務を残してしまったのである。

世間では事実を一切知らないため、私財をまさか北方領土返還のための交渉材料に使うわけがない、日本財団の金を勝手に使っているに決まっている、という疑念が生まれることも仕方ないことである。

私を含めて一般人にはとても理解し難い行動、言動であったからである。

日本財団を“私物化”しているという批判は、実はこういうところからも生じていたのである。


http://blog.goo.ne.jp/sasakawaryouichi/e/33d2a1cf5a2e83456eda167767fbe156?fm=entry_awp_sleep
笹川良一の遺産
 
 
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