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Metal Detecting Sandals

 投稿者:N  投稿日:2014年10月24日(金)13時16分19秒
返信・引用
  Metal Detecting Sandals - TalkNerdyToMe.Net review
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=y65e_TGGPbw


BBTradesales Treasure Seekers Metal Detecting Sandals
http://www.amazon.co.uk/BBTradesales-Treasure-Seekers-Detecting-Sandals/dp/B003CALUCW

Treasure Seekers Metal Detector Sandals (Urban)
http://www.flashwear.com/online_store/treasure-seekers-metal-detector-sandals-urban728373.cfm


金属探知機でトレジャーハント(デイリーポータルZ)
http://portal.nifty.com/special04/05/07/index.htm
 
 

さつまの国の言い伝え2

 投稿者:N  投稿日:2014年10月18日(土)17時26分19秒
返信・引用
  http://kagosimalegend.seesaa.net/article/292702338.html
錠鍵野の宝物 瀬々串に伝わる埋蔵金伝説

慶長5年(1600)に、天下分け目の戦である関ヶ原の戦いがありました。
この戦いは、東軍側の徳川家康が勝利し、徳川政権を樹立することになりました。

戦いに敗れた豊臣の家臣たちは、徳川の目を逃れ、とうとう瀬々串浦の古城にたどり着きました。
そのとき豊臣の家臣たちは、いつの日か政権を取り戻すために軍資金として多くの財宝を持ってきていました。

その後、瀬々串浦を去ることになり、別の地に移ることになりました。
財宝をある場所に埋めることにし、そこを「錠鍵野」と名付けました。

錠鍵野は、「瀬々串浦から望んで夕日が西の山に沈むとき、最後まで夕日が照っている所」を選んだと言われています。
埋めた場所にある大小の岩の下に、その財宝は眠っているそうです。

※ 鹿児島には、関ヶ原の戦いで敗れた豊臣方の殿様や家臣たちが落ち延びてきたとする言い伝えがあちこち  に散らばっています。
  谷山の「豊臣秀頼の墓」にまつわる伝説。
  南九州市頴娃町雪丸の地名にまつわる伝説では、ここに真田雪村もしくは家来たちが落ち延びてきたこと  になっています。

  判官ひいきの心が強い鹿児島の人々が、豊臣方を憐れんだものか、豊臣に関係する人たちが落ち延びてき  たのか、はっきりしたことは分かっていません。
  鹿児島は、平家の落人伝説もそこかしかこに残っていますので、奥底には同じ心持が働いているのかもし  れません。

http://kagosimalegend.seesaa.net/category/14355341-1.html
小永田の隠し黄金 さつま町

むかし、むかし。
いまのさつま町求名(ぐみょう)に、千万長者とよばれる年老いた長者がありました。

ある時、長者は子や孫が先々困った時のためにと、黄金千両と朱千斤を「茶の木が点在する山中」に埋めました。
目印に、韮を植えておきました。
長者は黄金千両と朱千斤を埋めたこと、困ったときに掘り出すよう遺言すると、間もなく死んでしまいました。
残された家族たちは、長者の遺言を他人に漏らさぬよう、秘密にして代々伝えてきました。

時は経ち、「分限者に三代なし」の諺どおり、孫たちはその日の暮らしにも困るようになっていました。
孫たちは、代々伝わる秘密の遺言のことを思い出し、目印の韮を探しに出かけていきました。
孫たちは血眼になって探し回りましたが、見つけることはできず、家はなくなってしまいました。

長者の遺言をどこで聞きつけてきたのか、ひとりの村人がこっそり山の中に入りました。
その村人は、韮を見つけると狂喜して家に帰りました。
鍬を持つと、跳ぶようにして先の山に走り出しました。

村人が同じところに行ってみると、目印の韮が見当たりません。
とうとう、その場所を見つけることはできなかったそうです。

その後、何人もの人が黄金を掘り出そうと山に入りましたが、見つけることはできなかったそうです。
 

さつまの国の言い伝え

 投稿者:N  投稿日:2014年10月18日(土)17時23分48秒
返信・引用
  http://kagosimalegend.seesaa.net/category/14355341-1.html

谷山に伝わる埋蔵金伝説

以前、徳川埋蔵金に関する番組がTVで放送されていました。
筆者などは、埋蔵金なんか出ないと思いつつ、番組の頭から最後まで見ていたものです。

『谷山市誌』によると、谷山には大金を埋めた言い伝えが2つ掲載されています。
大金や黄金を埋めた言い伝えは、全国各地に残っているようです。
また、埋めた場所を言い表しているといわれる、「朝日影なし夕日のもと、朱三盃、金千升」
も全国共通のようです。

1.長尾山に伝わる黄金伝説
 皇徳寺跡の東の山を長尾山と呼んでいる。
 この山に軍用金が埋められているといわれ、山師たちが再三にわたって発掘したようですが、
 まだ、掘り当てた者はいないようです。

 言い伝えによると、千杯入りの壺に朱金が入れられ、つづりの木の下にかくまり、「朝日夕かげ」の
 暗号で呼ばれていたそうです。
 千杯入りの壺は、一杯七合五勺入りで、大きな壺であったようです。


2.向原古戦場
 坂之上の向原にも、大金を埋めた言い伝えが残されています。
 むかし、向原で戦がありました。
 ある一族が悲壮な最期を迎える直前に、子孫のために朱と金を大甕に詰めて地中に埋めたそうです。
 埋めた場所を言い表しているといわれる、言葉が伝わっています。

 「朝日影なし夕日のもと、朱三盃、金千升」

 「向原」の地名は、「敵に向かった」ということから名付けられたということです。

※「向原」は、谷山方面から国道225号線を南下し、ドラッグストアー「コスモス」を過ぎた辺りに
 なります。鹿児島交通の「向原」バス停があります。

※ 長尾山と向原、双方に共通するしているのは、近くに篤い尊敬を受けたお寺があったことです。
  長尾山は「皇徳寺」、向原は「清泉寺」。
  あくまで憶測ですが、そこのお坊さんたちが言い伝えたのかもしれません。
 

暇つぶしに

 投稿者:N  投稿日:2014年10月18日(土)17時01分7秒
返信・引用
  宝探しはどうやればいいのか?
http://www.youtube.com/watch?v=UD4uRkdl2NE

魔法の杖・ダウジングの謎を暴け2-1
http://www.youtube.com/watch?v=SdLOWqdMMfs
魔法の杖・ダウジングの謎を暴け2-2
http://www.youtube.com/watch?v=zeIsrh9QqCc

幻 の 甲 州 金 山
http://www.youtube.com/watch?v=1ub3Z5LthfM
 

バイキングの財宝

 投稿者:N  投稿日:2014年10月16日(木)21時32分32秒
返信・引用
  http://www.afpbb.com/articles/-/3028823
【10月14日 AFP】地中に埋まった金属の探索愛好家の英国人が、これまでで最も素晴らしいお宝を英スコットランド(Scotland)で発見した──バイキングの財宝だ。この発見を通じて、バイキングと他の欧州地域とのつながりも明らかになったという。

?当局の13日の発表によると、銀の鋳塊、ブローチや腕章、金製品やアイルランド伝統の品々などの財宝100点以上は9~10世紀のもので、中世のスコットランドの歴史への理解や「血に飢えた野蛮人」という定着したバイキングのイメージを刷新する可能性もある。

?また、現在のドイツにあたる地域のものとみられる、装飾をほどこした純銀のキリスト教徒の十字架や、中身が入ったままのカロリング朝の銀製のポットなども見つかっている。

?発見者のデレク・マクレナン(Derek McLennan)さん(47)は先月、スコットランド南部で、深さ約60センチの地中に埋められた財宝を発見した。

?現時点で正確な位置は公表されていない。当局は現場の保存作業および周辺での確認作業を進めている。

?財宝は、スコットランド教会が所有する土地で発見された。

?元実業家のマクレナンさんは、3年前に金属探索を始めた。今回の発見の前には、過去1年間で中世のコインを2度発見していたという。

?財宝は、市場価格を基準にして博物館などに売却される予定。その際に、マクレナンさんは「発見者の取り分」を受け取ることになっており、土地所有者のスコットランド教会と利益を分け合うことにも同意しているという。(c)AFP/Robin MILLARD

 

埋蔵金―房総の伝説民話紀行 安房里見氏編

 投稿者:N  投稿日:2014年10月11日(土)15時07分40秒
返信・引用
  http://saint-just.seesaa.net/article/56860850.html

埋蔵金―房総の伝説民話紀行 安房里見氏編―(朝日新聞2007-04-17)

外に敵と対峙し、内に内乱の危機を孕んだ戦国時代。安房里見氏でも天文の内乱が勃発し、義豊が討たれて義堯に家督を奪われた。そんな戦乱の世だからこそ、緊急事態に備えた埋蔵金伝説が生まれ、語り継がれてきた。

館山市街地から東へ、低い山並みを縫うと、南房総市の旧千倉町に入る。更に、瀬戸川源流域に分け入れば、緑の山々に包まれた「小松寺」に着く。寺の一帯は、「小松寺の森 郷土環境保全地域」として動植物が守られている。門前の水路に目をやると、翡翠(かわせみ)が鮮やかな色彩で飛び出した。

溜め池の辺(ほとり)に立つ大きな案内板が、寺の縁起などを伝える。700年頃に役(えんの)小角(おづぬ)が小さな庵を建てたのが始まりで、養老2年(718)に1間4面の御堂に建て替えられた。平安時代に七堂伽藍が整い、江戸初期には徳川家康や里見義康から寄進を受けたという。そして案内板の最後に、「埋蔵金の伝説」が次のように記されている。

「『旭さす夕陽輝く双樹の下に、漆千盃、朱千盃、銭十億万貫を埋めおく。非常の際はこの財宝用うべし』と伝えられております。この財宝は何処に眠っているのでしょう」

これだけの記述であり、里見氏との関連には触れられていない。兎も角、もう少し詳しい事を知りたいと寺の庫裏を訪ねた。副住職の大沼圭真さんは「案内板に書いてあるだけです。ただ、里見の埋蔵金といわれています」と語る。地図を開いてみると、小松寺の北3㎞程が前期里見氏の本拠地・稲村城跡だ。やはり誰かが、内乱などを想定して財宝を埋めたのか。埋蔵場所の目印・双樹も、実在したらしい。「古いセピア色の写真が残っていました。私も見ましたから」。だが、木と空だけで地面が写っていなかったそうだ。「だから、木が立っていた場所を特定できないんです」と大沼さん。

現在の小松寺は、子宝や安産祈願に多くの人々が訪れるそうだ。寺を包む豊かな自然が、また愛らしい我が子の誕生が、本当の財宝なのだろう。

因みに、里見氏の埋蔵金伝説は、南房総市(旧富浦町)の宮本城跡や、鴨川市の嶺岡山系にも残っている。
 

里見の埋蔵金

 投稿者:N  投稿日:2014年10月11日(土)15時05分45秒
返信・引用
  http://www.mboso-etoko.jp/dictionary/article.php?flg=2&code=331
里見の埋蔵金
 栄華を極めながら、悲運な末路に終わった大名や豪族の支配した土地や城址には、よく埋蔵金の伝説が残っているものです。
 戦国時代、南総に威をふるった里見氏の宮本城址にも、埋蔵金伝説の謎を秘めた歌があります。

 朝日さす夕日輝く諸(もろ)の木の下に
 黄金千ばい朱がめ千ばい

 大津に残る伝説によりますと、天文の世に起きた里見家の内紛のとき、久留里の義堯(よしたか)に攻められて敗死した、稲村の義豊の采配で、宮本城を守っていた家臣たちが、再起を願い財宝を隠したというのです。

 話は江戸時代に飛びますが、大津村のある百姓が、城山の中腹で壷を1つ掘り出したことがありました。
「なんだろう」
と下の川で壷を洗いますと、なかから朱が流れ出しました。みるみるうちに川の水が真っ赤に染まってしまったので、百姓は驚いて逃げ出してしまいました。その川は、現在、朱水川(しゅみずがわ)といわれていますが、今思えば、ここで発見された壷は、埋蔵金の歌に出てくる朱がめに相違ありません。しかし黄金のかめを発見したという話はまだありませんから、誰かが数百年地中に眠る黄金を、掘り当てる幸運に恵まれるかも知れません。

銭瓶峠の伝説 とちょっと似てますね。
 

小松城の埋蔵金

 投稿者:N  投稿日:2014年10月 8日(水)13時45分44秒
返信・引用
  http://kaga-rekishi.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/post-0f15.html

 官有地内に埋金あるを採掘願

今般私儀、石川県能美郡小松町旧城址地内において、元前田中納言様(注:加賀3代藩主・前田利常)居城の折、軍用金として数多くの金塊を、殿のお側付きを勤めておりました私の祖先・小西正由ほか五名に密かに命じて、他人に知らさず、深夜、居室の畳を起こし、床下に穴を掘り続けること数ヵ月。ようやく埋め終わり、酒宴を賜りましたが、正由は身に危険を感じ、大便にことよせ宴席を退去し、すぐに帰宅しました。そして虚無僧の装束を着て夫婦連れで亡命し、熊本に至り、今日まで子孫連綿として続いております。ほかの五名は酒宴後毒殺されたと伝え聞きます。

 正由は臨終の際、相続者を枕元へ呼び、人払いをして遺言しました。軍用金が埋まっている場所を詳細に述べ、兄弟や他人に話してはいけないと戒め、代々相続者に伝言し、時機が来たら採掘を出願せよ、と。

 私の父源太郎は、城跡は民有地になっているものと考え、買い求めるための予備金として少なくとも五百円は必要と思いつきました。財産もない父にとっては至難中の至難だったでしょうが、明治元年から同二十一年七月までに百八十五円を貯蓄して亡くなりました。

 「なにとぞ兼ねての本望を達するように」との父の遺志を継ぎ、私は大正二年六月までに、寒暑をいとわず昼夜の別なく働き三百三十五円を貯蓄しました。

 小松町に来て調べたところ、官有地になっていました。つきましては採掘をして埋蔵金の有無を確かめたく思います。建築物には関係ない箇所なので、お許しください。なお、

掘り起こした所は原形の通り、自費で復旧工事をしますので、なにとぞお願い致します。
 

姫越山(ひめごやま)に眠る黄金千両

 投稿者:N  投稿日:2014年 9月19日(金)18時56分21秒
返信・引用
  http://www.bunka.pref.mie.lg.jp/minwa/sima/nantou/index.htm

物語をはじめる前には南島町にはこんな歌が残っておるそうな。
 「朝日さし、夕日直刺(たださ)す、つつじの下に、黄金千両、後の世のため。
 朝日さし、夕日直刺す、つつじの下に、黄金千両、後の世のため」

 むかしむかし、南島町の西の端(はし)、新桑竈(さらくわがま)という村の西側に高さ五〇三メートルの姫越(ひめご)山と呼(よ)ばれる山があってな、このあたりでは朝日を真っ先に迎(むか)える山で、また夕日を遅くまで受けて輝(かがや)いている山でもあったそうな。
 さて、この山の頂(いただき)近くにはつつじの木があって、その根元にはなんと千両の黄金が眠(ねむ)っとることを、物語の初めに紹介(しょうかい)した歌は歌っておるんやと。
 たしか、昭和の初めごろの話や。この歌を手がかりにこの山のつつじというつつじは、残らず根こそぎ掘(ほ)り返されたこともあるそうや。
 

銭瓶峠の伝説

 投稿者:N  投稿日:2014年 9月19日(金)18時51分24秒
返信・引用
  http://www.city.shimoda.shizuoka.jp/find.php?pid=1812

28.伝説「銭瓶峠」
銭瓶峠
 下田市吉佐美と南伊豆町青市との境にある三倉山は、このあたりでは最も高い山で、山谷も美しいので縄文、弥生文化の頃の先人は、神の山として祀ったといわれ、近くの洗田(せんだ)からはそれらの遺物が発掘されている。
昔はこの山を越えて南伊豆町下賀茂方面へ行くのであったから険しい峠の一つであった。
今で はバスで一瞬の間に過ぎてしまう。
 昔、朝日の長者と坂の長者がこのあたり一帯を領していた。
 「朝日照る夕陽輝く木の下の岩の真下の石の箱開けば黄金千杯朱千杯」といい伝えられ長者の莫大な宝が埋められていると噂されていた。
朱千杯の方は坂の長者の屋敷から大きな瓶が掘り出されて、その瓶を川で洗ったところ、瓶から出た朱が川から海に流れ、川の水も海の水もまっかに染まってそれが速く神子元島にまで及んだといわれている。
残された謎の「黄金千杯」の瓶は日当りのよい大木のあるどこかにあるに相違ないと、探した人もあったというが、今日までとうとう見つかっていない。
黄金の入った瓶がこのあたりに埋められているとて銭瓶峠と名づけられたとか。

下田市の民話と伝説 第1集より
 

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