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ツタンカーメン

 投稿者:  投稿日:2016年 7月17日(日)09時11分24秒
返信・引用
  未知の部屋がある?
TBSにて18日19時から。
ぜひ、録画を。
 
 

ナチスの黄金列車その後・・・

 投稿者:N  投稿日:2015年11月 2日(月)17時38分1秒
返信・引用
  資料や爆薬は出てきたようですが・・・  

財宝をくすねた作業員3人を起訴、フランス

 投稿者:N  投稿日:2015年 9月17日(木)17時06分12秒
返信・引用
  財宝をくすねた作業員3人を起訴、フランス
2014年08月11日 18:26 発信地:エブルー/フランス
http://www.afpbb.com/articles/-/3022826

【8月11日 AFP】仏北部ノルマンディー(Normandy)で、整地を委託されていた住宅で見つけた金の延べ棒や金貨をかすめ取ったとして、作業員の男3人が窃盗の罪で起訴された。

?11日の地元紙パリ・ノルマンディー(Paris Normandie)によると、起訴された20歳、33歳、40歳の作業員3人は、数日前から作業を行っていた住宅で、複数のつぼに入った金塊6本と金貨600枚を発見。金塊はそれぞれ1本の重さが1キロ、金貨は製造年が1924~27年の20ドル硬貨で、推定評価額は90万ユーロ(約1億2300万円)だという。

?しかし作業員らはこの「発掘」を家主に報告せず、見つけたお宝を盗んで地元の収集家に売りさばくことに決めた。

?だが、作業員の1人が自身の口座に高額小切手を何度も入金していたことから、税務署に通報されることとなった。捜査員に対し、作業員らは罪を認めたという。

?パリ・ノルマンディー紙によると、金の延べ棒や金貨が見つかった住宅の家主は、作業員たちに冗談のつもりで「もしお宝が出てきたら、知らせてね!」と話していたという。(c)AFP
 

事実は?

 投稿者:N  投稿日:2015年 9月17日(木)16時33分24秒
返信・引用
  ナチスの「黄金列車」探しに軍派遣へ、ポーランド
2015年09月02日 15:27 発信地:ワルシャワ/ポーランド

>ピヨトル・ジュコフスキ(Piotr Zuchowski) 文化副大臣は先月28日、地中探知レーダーによる画像を確認したと述べ、「列車が存在すると99%以上確信している」とコメントしていた。

>?一方、下シレジア県の知事は31日、「提出された書類が示している場所に、そのような発見が存在すると主張するのは不可能だ」と反論した。


http://www.afpbb.com/articles/-/3059180
【9月2日 AFP】ドイツ人とポーランド人の匿名のトレジャーハンター2人が、ナチス・ドイツ(Nazis)が強奪した黄金や宝石を載せた「黄金列車」が埋まっていると主張し、国内外から大きな注目を集めているポーランド南西部の町バウブジフ(Walbrzych)に対し、ポーランド政府は1日、軍を派遣する方針を発表した。

?AFPの取材に対し、ポーランド国防省の報道官は、列車が実際に埋まっているのかどうかを調査するため、探査機器などを現地に送る計画を明らかにした。調査はバウブジフがあるドルヌィ・シロンスク(下シレジア、Lower Silesia)県の知事の要請に基づくと説明した。

?同国のピヨトル・ジュコフスキ(Piotr Zuchowski) 文化副大臣は先月28日、地中探知レーダーによる画像を確認したと述べ、「列車が存在すると99%以上確信している」とコメントしていた。

?一方、下シレジア県の知事は31日、「提出された書類が示している場所に、そのような発見が存在すると主張するのは不可能だ」と反論した。また文化副大臣が言及したような画像は受け取っていないと述べた。

?財宝を満載したナチスの列車が本当に実在するのか、世界中のメディアが事の成り行きに注目している。

?なお、ユダヤ人組織「世界ユダヤ人会議(World Jewish Congress)」は、ナチスによるホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の犠牲者が所有していた貴重品が発見された場合は、その所有者、または相続人に全て返還してほしいと呼び掛けている。(c)AFP
 

ナチスの黄金列車

 投稿者:N  投稿日:2015年 9月15日(火)00時07分27秒
返信・引用
  伝説のナチス黄金列車「99%本物」 財宝300トン?タイタニック級の発見
http://www.sankeibiz.jp/express/news/150830/exd1508300000001-n1.htm

ナチス・ドイツによって強奪された財宝を積んだまま、第二次世界大戦でのドイツ降伏直前に姿を消したとされる「黄金列車」がポーランド南西部の地中で見つかったと報道され、現地では蜂の巣をつついたような大騒ぎになっている。

 地中探知レーダーで画像を確認したというポーランドのピヨトル・ジュコフスキ文化副大臣(51)は28日、急遽(きゅうきょ)ワルシャワで会見し、「列車が地中に眠っていることは99%間違いない」と明言。

 積載物は確認できていないが、伝説では300トンもの財宝が積まれていたとされており、地元紙は「タイタニック級の世界的に重要な発見」とコメントしている。

 「大戦末期に埋没」

 ナチスの黄金列車が発見されたとされるのは、チェコとの国境に近いワウブジフ。第二次大戦開戦直後から、ベルリン陥落前にソ連軍に攻め込まれるまで、ドイツ軍が支配していた。

 AFP通信などによると、大戦中に独軍はワウブジフ近郊に、捕虜や強制収容所に入れられた人々を動員して巨大な秘密地下トンネルを建設。トンネル群は「リーズ(巨大の意)」というコードネームで呼ばれ、連合軍による空爆を免れて戦略兵器を製造できる拠点として利用された。トンネルの一部は現在、観光資源として一般開放されている。

 一方で地元では、ソ連軍の攻撃が迫る中、独軍は略奪品である金塊、ダイヤモンドをはじめとした宝石類を大量(推定200億円相当)に軍用列車に積み込み、隠すために地下トンネルに入れて埋没させたとする伝説が70年来、語り継がれてきた。

 この間、多くのトレジャーハンターたちが捜索を試みたが、黄金列車は発見できなかった。

 ところが今月初め、ドイツ人とポーランド人のトレジャーハンター2人が、70年前に黄金列車の埋設作業に携わったとされる男性の臨終の床で、埋められた場所を聞き出すことに成功。

 “遺言”に基づき、地中探知レーダーで捜索したところ、旧市街地付近の封印された地下トンネルの中に長さ120~150メートルの装甲列車を発見し、ポーランド政府に届け出た。

 政府に報告したのは、ポーランドの法律では拾得物への謝礼として10%の報酬が定められており、これを確定させるためという。

 副大臣がお墨付き

 ジュコフスキ副大臣は「画像から判断して、列車の存在はほぼ間違いない。何が積まれているのかは、まだ不明だが、列車には銃の旋回砲塔が備えられていたとみられ、ただの列車ではないのは確かだ。財宝類が詰まっている可能性は否定できない」と語った。

 その上でジュコフスキ氏は「お宝探しが始まってしまったら大混乱するので、場所は明らかにできない。一般市民は決してトレジャーハンターまがいのことはしないでほしい。周辺に地雷や不発弾がまぎれている可能性が高い地点に列車は埋められており、発掘作業には危険が伴う。詳細は政府が精査した上で公表する」と付け加えた。

 ポーランド最大の全国紙、選挙新聞(ガゼタ・ビボルチャ)は「ヒトラーの黄金列車発見か」の大見出しで、騒動を報じた。果たして本当に財宝が眠っているのだろうか。近日中に伝説の真偽は明らかになる。
 

銅製だった家康像

 投稿者:N  投稿日:2015年 8月31日(月)19時45分20秒
返信・引用
  TBS徳川埋蔵金ライブに向けて。
ヘルメットをかぶった経済番組をご一緒に。

第14回 怒涛の予習篇(その2)

http://www.1101.com/treasure/1999-12-15.html
>疑問1
>「隠したしるし」として水野家に伝わる
>「黄金の家康像」は紛失され、写真が残っているのみである。
>しかも、もしこの像が実在したとしても、なぜ埋めた側は見つかる手がかりを残すのか?
>(→純金とされたこの「黄金の家康像」は、のちに銅製で、しかも、発掘地とは異なる場所で出土したと判明する)
 

コルチャーク提督の黄金

 投稿者:N  投稿日:2015年 8月18日(火)16時18分19秒
返信・引用
  隠された黄金 2014.06.14 , 13:40(ロシアの声)
http://jp.sputniknews.com/japanese.ruvr.ru/2014_06_14/273517695/

   ロシア・ケメロヴォ州のアマン・トゥレエフ知事は、地域の住民に行方不明のコルチャーク提督の黄金を探し出すよう呼び掛けた。トゥレエフ知事は黄金が見つかった場合、その半分が州予算に組み込まれることに期待している。

   1917年、ロシア帝国で革命が起こり、内戦が始まった。アレクサンドル・コルチャーク提督は、ボリシェヴィキと戦ったグループの一つを率いていた。1918年、コルチャーク提督はロシアの最高執政官となる。そして国の金準備の大部分がコルチャーク提督の手にわたった。(第一次世界大戦前、ロシアは金準備高で世界第3位だった)。だがまもなくしてコルチャーク提督は逮捕され、銃殺された。

   しかしコルチャーク提督の金準備は、約2億3600万ルーブル分が不足していた。これらがどこへ消えてしまったのか、研究者たちは約100年にわたって調査している。

   古文書によると、提督は金の一部を軍事に費やした。一部は盗まれた、またコルチャーク提督が隠したなど、黄金にまつわる伝説はたくさん存在する。さらに、黄金はバイカル湖の底に眠っている、あるいはシベリアの町チュメニあるいはスルグトに隠されているとも言われているほか、シベリアの小さな町タイガ近郊に隠されたという伝説もある。1919年、コルチャーク提督の軍隊が、このタイガという町に滞在した。準備金を積んだ車両29台も軍隊と一緒だった。歴史的な記録によると、タイガの駅で金の入った箱26箱がなくなり、次の駅でさらに13箱が消えたという。ケメロヴォ州の知事が住民に見つけるよう呼び掛けているのは、これらの金だ。

   一方で、シベリアの隠された黄金に関する噂はたくさんありバラエティーに富んでいるため、どれが真実でどれが嘘なのかを見分けるのは難しい。

   ある説によると、一人の書記が「黄金隠し」に参加させられ、黄金が隠された場所を書き留めた。それから長い年月が経過し、この書記は自ら黄金を見つけようとしたが見つからなかった。またその後、この書記の案内でソ連の情報機関が何度も探したが発見できなかったという

   また別の説によると、黄金はコルチャーク軍の将軍の一人によって隠された。この将軍は黄金を汽船に積み、川伝いに安全な場所へ運ぶよう命じたという。さらに、コルチャーク提督の部下たちによって850キロ以上の黄金が盗まれたという説もある。なぜなら冬だったため、部下たちは穴を掘ることをやめて、金の延べ棒とその他の貴重品を湖の一つに沈めたというのだ。

   シベリアのタイガでは、すでに約100年にわたってコルチャーク提督の黄金探しが行われている。学者たちはコルチャークーク提督の伝記などを研究し、黄金がどこに隠されているのかを突き止めようとしている。トレジャーハンターはいろんな場所で、帝国の紋章が打刻された金塊や硬貨などを見つけている。だがそれらは全て、コルチャーク提督の黄金ではない。行方不明となった金の入った箱は、未だに発見されていない。

   だがトゥレエフ知事の呼びかけで、宝探しが再びブームとなり、ついにコルチャーク提督の黄金が見つかるかもしれない。
 

白糸の滝にまつわる埋蔵金伝説

 投稿者:N  投稿日:2015年 8月16日(日)16時37分39秒
返信・引用
  白糸の滝にまつわる埋蔵金伝説
http://newsmiya.blog.fc2.com/blog-entry-5.html

そめてみよ 色さまざまに なるみ滝
白糸いまだ たのもしきかな
(日蓮上人)

「なるみ滝」とは白糸の滝のことである。
この歌がきっかけとなった白糸の滝にまつわる埋蔵金伝説があるので紹介しよう。

昔ある僧が修行に立ち寄った最恩寺(臨済宗・山梨県南部町)で、この寺の本尊である釈迦如来を修復していたところ、胎内から埋蔵金の隠し場所と思われる絵地図を発見した。その地図を書いたのは穴山梅雪とされている。穴山梅雪とは武田信玄の姉の子で、「麓(ふもと)」と呼ばれる武田金山を監督し、その収納をしていた。穴山梅雪は織田信長政権の傘下となり甲斐河内領と駿河江尻領を安堵されたが、織田信長が本能寺の変で最後を遂げ京から甲斐に帰る道すがら敵の奇襲に会って亡くなったという。その息を引き取る直前に家来に渡されたのが埋蔵金の隠し場所を書き付けたその地図であるという。穴山梅雪の子息(勝千代)は若年であったが、穴山梅雪の死後5年で亡くなった。その後穴山氏一族は断絶し故郷の最恩寺に葬られたという。その際、釈迦如来の胎内に入れられたというのが、この地図を発見した僧の推測であった。その地図には埋蔵金は「なるみ滝」にあると書かれていた。「なるみ滝」とは何処のことか?その僧は日蓮上人の歌を思い出し合点した。
その僧は早速、白糸の滝に向かい、上井出村の名主に協力を申し出て何度も発掘作業を行ったが、作業は困難を極め、死亡事故がその都度発生し中断され、埋蔵金は発見されずに現在に至っているという。
伝えによると、ここに金を隠した工夫は、工事完了とともに斬殺され、滝壺へ流されたとされている。発掘作業の度重なる死亡事故は、殺された工夫の怨霊の仕業であると囁かれている。
2015/06/02 (Tue) 18:40
 

報恩寺に残る黄金伝説

 投稿者:N  投稿日:2015年 8月16日(日)16時10分19秒
返信・引用
  両丹日日新聞2014年1月 2日のニュース

報恩寺に残る黄金伝説「寺のイチョウの木の下に百尋の金の鎖」
http://www.ryoutan.co.jp/news/2014/01/02/007399.html

 日本には徳川家や明智光秀、豊臣秀吉などにまつわる埋蔵金伝説が各地に残るが、福知山市報恩寺地区にも似たような言い伝えがある。「葛尾にあるお寺のイチョウの木の下に百尋(ひろ)の金の鎖が埋まっている」-。文献や資料に記述があるわけではないが、地域の高齢者のなかにはそんな心躍るような言い伝えを知っている人がいる。


■地域の高齢者が記憶■

 百尋の「尋」とは長さの単位で、大人が両手を広げた程の広さを示す。一尋はおよそ1・8メートルで、百尋は180メートルととてつもなく長い金の鎖だ。葛尾とは報恩寺の山中の地名を指す。寺は葛尾山福性寺。現在は同じ報恩寺の別の場所へ移転している。

 地域活性化グループ・笹の雫の会の会長、平石幸一さん(77)は父親から、葛尾に行くたびによく聞かされていて、大きなイチョウの木の株を見たことがある。

 事務局の栗林拓爾さん(76)も、この言い伝えを記憶している。小学生のころ、地域のおじいさんが、ありかとされる山によく行っていたらしい。

 金の鎖のことはすっかり忘れていた2人だが、昨年のグループの新年会の場で、酒量が増えていくうちその話題が持ち上がった。

 「景気が悪いなあ」「何か金もうけになることないか」と笑い話をしていたところ、「百尋の金の鎖を見つけよか」と盛り上がり、2月に葛尾の寺跡へと向かった。


■寺跡で目印探すも未発見■

 平石さんは、父親に連れられ寺跡の脇道を通って行き、炭焼きの手伝いをしていた。大きなイチョウの木の株があったことを記憶している。

 一方、栗林さんは小学生のころ、寺跡周辺でアケビ取りなどをしたことがあるから、場所には目星がついていた。

 その場所の周辺で1時間ほど探し、石垣や割れた瓦などは発見したものの、イチョウは見つからなかった。

 同寺は1930年(昭和5年)、当時の建物をほぼそのまま現在地に移築した。言い伝えについて現住職の桐村正昭さん(58)は「聞いたことがありませんねえ」という。

 桐村さんは葛尾にあったころの寺の写真を保管している。そこには瓦ぶきの本堂の前に、背の高いイチョウの木が確かに写る。

 現在の同寺にも大きなイチョウの木がある。葛尾にあったときのイチョウを挿し木するかして、今では見上げるほど成長している。

 金の鎖は、誰が埋めたのかなど、背景は不明のまま。今も山中に眠っているのか、いないのか。真偽も含めて分かってはいない。
 

豊臣秀吉の埋蔵金一考察(多田銀山)

 投稿者:N  投稿日:2015年 8月16日(日)09時31分8秒
返信・引用
  神戸・兵庫の郷土史Web研究館(郷土史にかかる談話 9)

豊臣秀吉の埋蔵金一考察(多田銀山)
http://kdskenkyu.saloon.jp/tale09tmk.htm

 慶長3年(1598年)6月、病床にあった秀吉は、豊臣家の将来・危急の時のために、大阪城御金蔵にあった4億5千万両(現在では約200兆円)を摂津の国、多田銀山の21カ所に分けて埋蔵したと伝えられています。
 しかも、埋蔵及び管理に携わった者や一族の遺した文書からは、瓢箪間歩、新千石間歩など5箇所の坑道が示唆されています。それで秀吉の埋蔵金は、瓢箪間歩や台所間歩などのある当時全盛を誇った銀山町(現在の猪名川町銀山付近)内の豊臣家直轄又はゆかりの坑に秘匿されたと想像されてきたのです。
 以来、徳川家康を始め江戸幕府による探索、明治新政府以降の鉱物資源開拓確保の国是の基に進められてきた鉱山開発、加えて一攫千金の夢を追う個人又は集団の探索者たちの努力も空しく、未だに埋蔵金は発見されていません。

 現在でも、危機的国家財政の抜本的解決策として国策(政府直轄)でこの埋蔵金を探索してはどうか、という話しもありますが、笑い話とは思えませんね。
 では一体どこに秀吉は4億5千万両を秘匿したのでしょうか。
 財宝埋蔵の秘法として伝わっている「八門遁甲の陣」によって、世俗が注目している銀山町ではなく、その北部の東光寺周辺に至る山中の旧廃坑と推定されている研究家もいます。しかし、豊臣家の財宝をそんなに簡単に文書に遺して置くでしょうか。口伝又は手掛かりとなる秘物伝承が本来であり、埋蔵掘削関係を人の目に触れる可能性のある文書の形で遺すのは不自然かつ恣意的な感じがします。

 そもそも多田銀山は、現在の猪名川町を中心とした宝塚、川西、豊能、能勢、箕面の東西20㎞、南北25㎞にわたる広大な地域を言います。この地域の鉱脈沿いには約2800もの間歩(坑道)が造られています。わざわざ後世の他人が採掘を手掛ける可能性の高い良鉱脈が集中する銀山町に隠すのは得策ではありません。秀吉が騎馬のまま出入りしたと伝えられている誰でもが注目する瓢箪間歩などをダミーにした陽動作戦の可能性が高いと思います。
 そこで、知恵者豊臣秀吉が大阪城御金蔵の大枚を埋蔵秘匿する場所を決めるとするならば、その条件・要点をどう考えたのか、推測してみました。
(1)万一、徳川家康などが探索した場合に、違った箇所・地域へ誘導する。
 ダミー地は、銀山の賑わいの真っ只中とし、わざと文書で遺す手配をしておく。よって、猪名川町の銀山町周辺はそれらしく装うが、対象とはしないでしょう。
(2)周辺に大きい村や部落が無くて、周りから見通しが利かない場所。
 川西、池田、箕面では村落が多くあり、麓からでも山中の動きが覗えるなど人目に付きやすい。埋蔵、再採掘の作業を外部から隔絶する処置が採り易い奥まった谷間、川筋が良い。
(3)後世の埋蔵金回収が比較的容易な場所。
そのため、大阪城から比較的近距離にあること。宝塚、三田方面では奥過ぎる。また、標高の高い山中に分け入ったりしないで、河道・川筋が洪水で溢れても埋蔵した坑口が安全な位置にあること。川筋の道から少し高い位置に多数あって特定されにくい廃坑が適当と思われます。
 以上の条件を満たす地域はまずは一箇所。銀山町より大阪に近い人里離れた山中の奥まった峡谷で、ダミー作戦のために大阪から人目の多い箕面、池田、川西をあえて通るが、銀山町ではない地域。現在の川西市、豊能町にある、大路次川と田尻川の合流する知明山東側の川筋しかありません。
 今は水資源開発公団によって一庫ダムが建設されて水没してしまっていますが、以前の古来からの地形を知っている者としては確信できます。
 というのも、一庫ダムが建設される当時、水資源開発(ダム)と地域整備計画に携わっていた私は、昭和46年、その山中現地にありました。
 ダム建設に際しては、周辺地域を「鉱区禁止地区の指定」を行わなければなりません。そもそも鉱物資源確保を国是として私有財産権すら制限(他人の土地でも勝手に鉱区試掘権を設定できる)した法律の適用を除外するために、ダム湛水(貯水)に水抜け水漏れの危険性のある鉱山開発は認めず、湛水地区周辺(山の斜面裏側も)にある旧廃坑は全てコンクリートで埋め戻すことになっています。その指定のための国の現地踏査に同行していた私は、知明山周辺地域の川筋で、道から見上げて5~20m程高い位置の斜面に無数に廃坑口の存在を確認しました。

※ 鉱区禁止地区の指定
(1)指定地域名:一庫ダム(兵庫県、大阪府)
(2)指定番号:148号
(3)指定面積:712ha
(4)指定公示日:昭和47年1月10日
 特に、その合流地点から大路次川上流にあった銀山町(約3000軒)に次ぐ約1000軒が集まっていたと思われる鉱山関係者の部落「千軒」や、田尻川上流の「黒川」「国崎」の部落から距離があり、後の目印となる知明山の東南向かいにある深く切れ込んだ狭い谷筋、深山幽谷の感すらあった田尻川と保谷川合流地点にも廃坑群(斜面は鬱蒼とした樹木で覆われていて詳しくは確認できなかった)が存在していたのです。

 当時は私も埋蔵金伝説は言い伝えのとおり猪名川町の銀山町のことと思っていたので、廃坑口にはただ昔の人のエネルギーに感心させられるだけで、気も回っていませんでした。その2年後に閉山されることになる銀山の日本鉱業の作業現場におじゃまして、採鉱の現状を視察させていただいた時に、「埋蔵金は見つかりましたか?」と冗談話も出たことを思い出します。
 その頃と比べて、地域を挙げて銀山をテーマに各種の整備が進んでいることに、郷土史探訪によるツーリズム振興を願う者としては心強い限りです。

 今、一庫ダムは堤高75m、堤長285m、3300万tの水を湛え、洪水調節のほか上水道、灌漑用水などのための多目的ダムで、阪神地域の人々の水瓶となっています。知明山周辺は、自然公園・親水公園、ゴルフ場、キャンプ場、フィッシングサイトなどとして市民の憩いの場となっています。
 4億5千万両の財宝を埋蔵した廃坑は厚いコンクリートや石材で埋め戻されシールドされて一庫ダム(知明湖)の湖底にひっそりと埋没し、二度と人の目に触れることはないでしょう。
(2009年4月)
 

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